
こんにちは!山野です。
今日も【ヤマ通】をご覧いただきありがとうございます。
ヤマノ印刷をより深く知っていただくという意味で、これから7回に渡り、ヤマノ印刷が今までどのような道程を経て、今日まで営業を続けてくることが出来たのか、書かせて頂こうと思います。しばしお付き合いください。
ヤマノ印刷は今から57年前の1960年11月に神田の地で産声をあげました。
創業者である叔母、山野き代は師範学校卒業後、中学の非常勤講師や団体職員、カメラメーカーを経て1950年後半に独立を果たしました。
独立当初は和文タイプライターで学校や公共機関、企業内外で配布する書類作成のサービスを提供する仕事を生業としていたそうです。
その後、孔版印刷*¹の版下*²制作を和文タイプライターで作成するようになり、版下制作だけでなく、印刷業務も受注出来る体制を作るため、孔版印刷機を導入するに至りました。
この時ヤマノ印刷の前身である、有限会社ヤマノ孔版社を立ち上げることになります。それが今から57年前、ヤマノ印刷の創業の瞬間でした。
叔母曰く、神田の地で創業することには意味があり、日本の3大祭りの一つが行われる、活気のある神田の地で、小さくてもこの地で1番を目指したいという気持ちがあったようです。
現役時代の叔母は、生活の全てを仕事に注ぎ込み、それこそ朝から晩まで仕事詰めの日々を休みなく続けてきたとのことでした。
60年程前に女性起業家として、製造業である印刷業を選択して創業して経営するということは多々苦労もあったと言っておりました。今考えても相当風当たりの強い状況だったと想像できます。
しかしながらその状況の中で、創業者として、社長、会長としてヤマノ印刷を会社としての形に作り上げ、務め上げました。
叔母は現役を引退してからも非常に元気で、様々な活動に積極的に取り組んでおりましたが、昨年2017年の6月に92年の生涯に幕を閉じました。
私が危篤の連絡を受け、叔母のもとに駆け付けたところ、私以外にも多くの親戚が集待っており、それが嬉しかったのか、叔母は意識を取り戻し、それだけではなくしっかりとした口調で理路整然と過去の話しをし始めました。
そこで初めて今まで書いたような話を聞かせてもらい、今までの歴史や苦労、経営者としての気構え、熱意を最後に受け止めることが出来ました。
多くの苦労を乗り越え、ここまで継続することが出来ているのも、ヤマノ印刷の礎を築いた叔母の功績が非常に大きかったと思います。
【ヤマノ印刷経営理念】━━━━━━━━━━━━
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としてお客様に価値あるサービスを提供し続けて
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